津屋崎祇園山笠について

津屋崎祇園山笠のはじまりから、今の姿までご紹介します


山笠のはじまり
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津屋崎祗園山笠は、約300年前(1714年)、波折神社境内の祇園社に博多の櫛田神社から波折神社に祇園の神様を迎え、毎年旧暦6月19日に山笠を奉納して、「疫病」「災害」の退散祈願を行ったことがはじまりと言われています。
奉納される山笠は、3本。村(農業)を岡流れ、浦(漁業・海運業)を北流れ、その中間(商業)を新町流れに、各流れ1本ずつ建てられます。各流れが勢いを競い合う追い山では、それぞれの産業の運勢を競っていたとも言われます。


山飾り
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大正5年ごろには時代の流れに合わせて低くなっていますが、明治時代には高さ10メートルほどもあった山飾り。山飾りは、博多人形の流れを受けて1777年にはじまった津屋崎人形で飾り付けられます。各山の表・見送りの6作品すべて武者人形の合戦絵巻となっています。今年は15日(日)の飾り付け以降、各山小屋でお披露目されます。
【津屋崎人形の詳細は、福津の極み・筑前津屋崎人形工房をご覧ください】


喧嘩山笠
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戦争のために一時中断。以後復活するも、昭和37年に再び姿を消してしまいます。その後、昭和50年に再復活。当初1本だけの再復活となりましたが、昭和54年には従来どおりの3本の姿に戻りました。津屋崎の山笠は、この3つの流れが度々ぶつかり合う喧嘩山笠と言われます。かつては、山笠同士がぶつかりお互いに譲り合わず山をそのまま放置されていたこともあったとのこと。祝いめでたを歌い、一番太鼓の合図とともにスタートする7月22日(日)追い山は、今年も3つの流れが競う熱い祭りになること間違いなしです。


すべての人が山笠をつくる
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津屋崎祗園山笠は山のかき手だけでなく、勢い水をかける人、見物をする人などなど、場にいるすべての人で完成する祭りのように思われます。それは追い山当日だけでなく、前日までに行われる準備も同様。特に追い山の前日(今年は7月21日(土)18時から)に開催される裸参りは、福津市の夏の風物詩の1つである「サマーナイトインふくつ」のイベント会場も駆け巡ります。追い山当日同様、会場となる津屋崎千軒の町並みに流れる熱気と興奮から、このお祭りが地域全体で作り上げられていることを体感することができます。